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    東京ホームタウンSTORY

    2025年の東京をつくる 東京ホームタウンSTORY

    東京ホームタウン大学講義録

    今はじめる、新しい日常のキーワード
    「東京ホームタウン大学2021」
    トークセッションレポート


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    西:「暮らしの保健室」の取り組みも今デジタルでやったりしていますが、やはり可能性はあるなと。でも慣れている人を増やしていかないと、難しいなとは思っています。“一体感を感じる”とか、“つながってるって感じられる”までにはちょっと時間がかかるかなという印象です。今は感染症対策をすればできることもあるので、直接お話をすることも続けていっています。

    広石: 国立市のある地域のサロンで、みんなで話し合ってルールを決めたというのを聞きました。いろんな人の状況に応じて、自分で選んでいこうねと。例えば、仮に誰かがコロナに罹っても、お互いに批判するようなことを言わないようにしようといったこととか。自分達で改めて大切にしたいことを話す。コロナ対策もまだまだ正解はないので、やはり話し合いながら進めていくってことが大切ですね。

    近藤:地域では、ZoomやLINEの講習会なども始まっていますよね。

    広石:そうですね。ある地域で、高齢者の方が「オンラインで1回話してみよう!」となって議題を決めてやってみたが、結局その日は「大丈夫?」「全然カメラが映んないんだけど」「今から家に行くから待ってて」みたいな感じで、全く議題の話はできなかった。でも、楽しかったんだそうです。実は地域のみんなで一緒にトライ&エラーを体験していくこと自体、一つのつながりの機会でもあるわけですよね。「話のネタができた」みたいにおっしゃっていました。
    マインドセットの変化かなと思います。きちんと話さなくては、失敗がないよう準備せねば、ではなくて、みんなでプロセス自体を楽しもう、というのも大事ですよね。

    近藤:コロナでつながれない、というのをネタにして、逆につながるというのは面白いですね。

    西:日本人ってすごくきっちりとやりたがるじゃないですか。完璧に準備してから始めましょうと。ではなくて、心の持ちようで「とりあえずなんか一緒にやっていこう」ということ自体がつながりになっていくってすごく面白いですね。

    「知っている」だけでもつながれている

    広石:参加者の方からいただいた質問に、地域参加に対しての質問として、抵抗感がある人、うまく乗って来ない人、『そういうのが嫌だからこのマンション住んでる』などと言われたり、声をかけようとしてもうまくいかない、自分自身もうまく参加できない、といったご質問などが多く寄せられています。

    近藤:さっき西さんが言った、「生活の動線上」っていうのがとても大事だと思います。まず必要に迫られないと人間動かないじゃないですか。あるいは、動くのは、自分がすごく興味がある場合なんですよね。マンションの役員会だから来てくださいね、だと面倒くさい。でも、その人も買い物には行くわけですよね。あまり多くのことを期待せずに、生活の中の一部となるようなつながりができていけば、というぐらいの考え方で地道にやっていくことも大事じゃないかなと思います。

    西:こういった質問って、必ず出ますね。「リンクワーカー」的な役割をどの程度の濃さで果たしたいのかによると思います。まず、ちょっとやりたい、であれば、参加してこない人はあまり気にしなくていいと思います。ですが、ちゃんと社会問題として取り組みたいという熱意があるのであれば、「社会的行方不明者」にしないようにするのが大事です。仮にその人が集まりなどには参加してこなくても、私たちはあの人があそこにいると知っている、という状態を続ける。声がけを続けるとか、チラシがなくなっていればまだ元気そうだな、スーパーとかで見かけたらちょっとあいさつしてみるか、とか。「わたしには見えている」っていう状態だけでも、十分価値はあるんです。

    近藤:それめちゃくちゃ大事ですね。

    広石:大事ですね。来なくても、行きたくないというコミュニケーションができている時点でもはや行方不明者じゃないってことでもありますよね。拒否されてるっていう時点で実はつながってるんですよね。

    近藤:社会的処方を広げようというのは、今政府でも考えられ始めているんですが、西さんがおっしゃった、「リンクワーカーを専門職として養成しない方がいいんじゃないか」というお話は一理あるなと思っています。専門職ができてしまうと「私は専門職じゃないから、やらない方がいいんじゃないか」と遠慮しちゃうのが日本。本当に対応が難しい人については、リンクワーカーの専門職にお任せするとしても、その方を見つけることまでもリンクワーカーが担うとしてしまうと、見つけることすらできなくなってしまう。でも、そこで役割分担がうまくできて、連携できれば、いい仕組みになるかなと。

    広石:例えば、地域の交流には来ないけども、喫茶店によく来る人を、喫茶店のオーナーさんが知っていれば良いわけですよね。「全然しゃべらないけどあの人いつも来てるよ」と把握している。逆に「あの人最近急に来なくなったけど大丈夫かな」と発見する役割も、リンクワーカーの専門職が何かをするよりも、喫茶店のオーナーさんが「自分はリンクワーカー的な役割ができる」と認識することの方が、実はすごく重要だということですね。

    西:そのうえで、状況が悪化しそうであれば、引きこもり支援をしている専門的な機関を探して、一度相談しに行ってみようか、とつながっていくと。

    広石:「あの人奥さんが亡くなってからどうしているかな」ってちょっと気にかけてみるくらいの感じで、社会的行方不明状態を作らないように気にかけていくことができるといいのだと思います。

    孤立に影響するのは、物理的距離より心の距離

    広石:参加者の方から西さんに質問で、「孤立が三種類ある」というお話をもう少し伺いたいのですが。

    西:「物理的孤立」「社会的孤立」「精神的孤立」があります。「物理的孤立」は過疎の村とかでずっと遠く離れていたり、一軒屋がポツンとあるような状態ですが、そういった家の人たちは大体その集落のちょっと外れの人たちとまたつながっていて、採れた大根を交換したりするんです。すると、「おばちゃん今日来ないけど大丈夫か?」と見に行ったりもするわけで、物理的には孤立していても、社会的に孤立してはいない。
    一方で、都市部のタワーマンションなどに住んでいて、隣に住んでる人は知っていても、隣の隣はわからないみたいな状態で、周りにたくさんの人はいるけれど社会的には誰ともつながってない。これが「社会的孤立」。さらに、孤立してしまっている人が、自分はもう誰ともつながっていなくて、孤独でつらいと思うようになることを「精神的孤立」と言います。

    広石:最近、テレワークになって、チームのコミュニケーションが上手くいかなくなったという話もよく聞きますが、実はアメリカでテレワークについての研究があって、距離にも3つあるのだそうです。1つ目はやはり物理的な距離、2つ目がテクニカルディスタンス、要するにデジタル機器が使えるか、得意か。3つ目が、アフィニティディスタンスといって、まあ、心の距離みたいに訳すとわかりやすいかと思います。テレワークがうまくいかない理由は、物理的距離でも技術的な差でもなく、実は心理的な距離なのだという話です。
    物理的距離に対して、よくデジタルな格差が問題として取り上げられますが、本当は心の距離が近ければ、離れていても、電話や郵送でもコミュニケーションができる。心の距離が離れているから、物理的に距離が開いた瞬間に機能しなくなるのだと。
    関わろうという気持ちがあれば、多少距離が離れようが関わりは生まれる。デジタルデバイドもそうですよね。デジタル機器がすごく苦手でも、いつもお隣さんのお家で、1台のカメラで2人並んでオンライン会議とかに参加している人もいます。
    私たちはまず“機器が使えるかどうか”というところに意識がいくんですが、関わりたい気持ちがあれば、一緒にやる方法もある。目的や役割があれば関われるっていうことにも話がつながってくるのかなと思います。

    地域の集まりが、困ったときのハブになる

    広石:人と人の距離の話に関連して、参加者の質問の中に、専門職同士、団体間の連携となるとやはり難しい、といった声が出ています。

    近藤:私達は行政側でどうするか考えることが多いですが、地域包括ケア推進会議とともに、専門職とか行政の各部署だけでなく、積極的に活動されている市民の皆さんや介護事業者が入った協議体をつくる取り組みが始まっています。対話する場をどんどんつくってほしいと思っています。そして、そういった場があったら、積極的に参加していただけるといいですね。

    広石:大事なのは小さな協議の場をたくさんつくることだというのは、東京都における方針としても出ていますね。コミュニケーションの機会がまずなければ連携もできないですもんね。

    近藤:集まる場があると認識できれば、困った時にあそこに相談すれば良いとわかるようになりますよね。東日本大震災の時に陸前高田市が復興未来図会議という会議体をつくりましたが、それがあるおかげで、行政が忙しくてなかなか動けない時でも、その会議にメール一本打ってみよう、会議の日に参加してみよう、となってつながりが生まれたんですよね。この町のここにいけば、つながれますよっていう場があれば良いですね。

    西:僕も活動を始めた当時、住民のひとりとしてお祭りやイベントを一緒にやって、「実は医者なんです」という感じのスタンスでした。そういう風につながっていこうとした方が上手くいくのかなと思いました。

    広石:なるほど、立場で行くんじゃなくて、個人としてということですね。どう連携できるかと考えると逆に身構えてしまうから“一緒に楽しもうという心持ち”は、すごく大事なのかもしれないですね。

    西:雑談の中から、「実は最近こういうことで困っていて」と聞けると、「こういう風にすればよいのかもしれないですね」とお互い話ができたりもしますね。

    東京の“これから”に向けたキーワード

    広石:最後に、コロナの経験も踏まえて、これからの東京において、地域のつながりや健康づくりにさらにいい関係ができればいいなと思いますが、これから東京で増えるといいんじゃないか、もしくは、始めてみたらいいんじゃないかと思うような“これから”のキーワードをいただけますでしょうか?

    近藤:コロナの話も出ましたが、「つながりをあきらめない」ですね。

    コロナだからしょうがないじゃないか、っていうマインドに僕らなっちゃってると思うのですが、人間である以上、つながりがないと命が危ぶまれるということがデータでも出てきています。やはりあきらめちゃうと「試合終了」になってしまう。
    医者としても、そこをあきらめると命を縮めてしまう方が増えるのであきらめたくない。そのためには、色々なアイデアを出して工夫をしていく。そしてこのようなイベントも、やっていくっていうことが大事なんだろうと思います。

    西:僕はこれです。「何がフックになるか?」

    これは、広石さんと近藤さんへの最後の質問でもあるんですが、日本人はつながりをつくろうとした時にきっかけやツールを間に挟まないと難しいのかなと思うことがよくあります。
    イギリスの例で言うと、Age UKというところがビーフレンディングサービスというのをやっていて、要は高齢者の方や孤立して寂しい人たちに、ボランティアの人たちが友達になってあげるというサービスです。週に1、2回電話をしたり、会ってお茶したりして、孤立を防ぎながら寂しさを緩和するというようなものです。
    日本でも同じようにできるかというのを、僕ら「社会的処方研究所」のオンラインコミュニティの中で議論したことがあるんですが、日本ではやはり難しいのかなと。でも例えばそれを宅配弁当サービスと組み合わせてお弁当を運んできた人が友達になるとか、御用聞きみたいな感じで用事を通じて友達になるというように、何か間に挟まないと友達になれないんじゃないかという意見が出ました。日本人ってそういう海外、欧米の人たちに比べて、やはりそういった特性があるとお二人は思いますか?

    近藤:僕は、今、健康づくりのために、行動科学なんかも活用してるんですが、継続したくなるためのフック、はまる理由が何なのかと考えた時に、強力なのがソーシャルの要素なんですね。人と競ったり、褒められたり、自慢できたりする。人との交流なんですよ。
    褒められる、あるいは地域や自分のコミュニティで役に立っていて、ありがとうって言ってもらえるような感覚ですよね。ありがとうって言われて嬉しくない人はいないと思うんですよね。褒められる場をつくってあげる、たくさんそういう場ができるともっと続けてくれるということがあるだろうなと感じています。

    広石:日本ってソーシャルっていう言葉が社会的と訳されてしまう。ちょっと意識高い系みたいな感じになっちゃうんですよね。社会問題やコミュニティを何かやらなければと思ってしまうんですが、英語で「ソーシャライズする」っていうのは、だいたい、飲み会に行くとか、パーティーで知り合い増やすみたいな感じで言いますよね。つながらねばならない、連携しなければならない、場をつくらねばならないって、思いすぎると難しくなるのかもしれない。
    もしかしたら日本の人は、社会にある場や空間、サービスを自分でうまく使うことに慣れてないのかもしれない。好きな人はどんどん参加して「ソーシャライズしにいこう」ぐらいな感じだと思いますが、多くは、真っ当にやらねばならないって思ってしまいがち。ちょっとそこに行って知り合いを増やして、合わなかったらまた帰ってくればいいじゃん、ぐらいの気軽さや社会資源の使いこなし方に慣れていくことが、ポイントなんだろうなって思っています。
    その中でも、やはり「食」というのは大きいと思います。孤食や共食の話もありましたが、いきなり仲良くご飯を食べるのは難しいけど、フードコートに行って食べる、まちなかのお店に行って食べる、みたいなことでもできるといいんじゃないかなと。
    あとは、もっとお店でのコミュニケーションを増やすっていうのが何か実は鍵なんじゃないかなと思っています。さっきの喫茶店のマスターとか、昔だったら居酒屋に行ってお店の人と喋るとか、お客さん同士知り合いになるみたいなことができていたと思うんですけど、今って本当にサービス的にどんどんなっていってて、コンビニとかもほぼ何も喋らないで決済できますよね。お店の人とちょっと喋るとか。何かそういうことって実はうまく広げていかなければいけないことなんじゃないかなと感じています。

    近藤:西さんが言った、「社会的処方を文化にする」っていうのはまさにそれですよね。自分たちの町でみんなで声かけあって。健康のためかどうかは分からないですけど、とにかく孤立しないために、みんなでちょっとおせっかい焼き合いましょうよ、と。

    西:広石さんの、「ソーシャライズに慣れていく」っていうのに、なるほどと思いました。慣れてはいないでしょうかね、日本人は。

    広石:多分、慣れてないと思います。自分のことは自分でやらねばと思いすぎて、人の力を借りるというのが難しい。逆に、花壇でお花植えているから手伝って、と言われても、ガッツリやらないといけないと思っちゃう。様子を見に行って「ご苦労様」って言って帰ってくるだけでも、何回かそうやってるとお互い顔見知りになるじゃないですか。そういったことが実はソーシャライズだというのに、みんなが慣れていくのが大事だし、例えばお店や宅急便の人が一言かけるだけでも気分が変わると思うんです。

    近藤:分業の悪いところですよね。郵便屋さんは郵便物だけとか、もっといろんな役割があるはずなのに、そこで許容しにくくなっちゃっているのかもしれませんね。

    広石:西さんのおっしゃったような、「みんなリンクワーカーなんだよ」という概念を広げていくってことがやはり大事ですね。「コミュニティ○○ワーカー」みたいな自覚を持つこと。誰とでも、コミュニケーションが起こせるってこと自体の価値をもう一回見直すのがすごく大事なのかもしれません。
    あと、僕が書いていたのが「共に分析し、共に決める」という言葉です。

    近藤さんからも、分析して状況を共有するってことが大事だという話がありましたが、分析やアセスメントのプロセスを共有する、地域でこんなことが起きているんだな、困ってる人がいるんだなと思っていって、大事だよねってことをみんなで考えていく。情報を共有する過程があることで参画をしやすくする。そういった取り組みも広がってほしいなと思いました。
    まず今日は、これを見てくださっているような皆さんに、ちょっと関わってみようって思っていただき、それが周りの方に広がって、これからの東京が今日話していたようなコミュニティの形に変わって行けるんじゃないかな、と。そんな風に思いました。

     

     

    本レポートの内容は、以下より動画でもご覧いただけます。

    (01:40より基調講演/35:40よりトークセッション)

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