シニアライフ応援計画「シリーズあなたの町を教えて~浅草芝崎町の紹介(西浅草三丁目)」に参加しました!
- 参加したイベント
- シニアライフ応援計画「シリーズあなたの町を教えて~浅草芝崎町の紹介(西浅草三丁目)」参加者募集
- 団体名
- 台東区教育委員会生涯学習課 シニアライフ応援計画実行委員会担当
- 参加日
- 2024年2月27日
- 参加者
- さりーずさん(60代)
シニアライフ応援計画の講座は台東区の地域の方が、企画・運営している講座です。今回は、生まれも育ちも浅草芝崎町西町会の講師から、町名の由来、芝崎町が昔は菓子屋の町だったこと、三社祭のこと、などなどお話を伺いました。
参加した日時:2月27 日(火)13:30~15:30
場所:台東区生涯学習センター
参加費:無料
案内人:小林さん
本講座の講師は、稲石一雄さんで、参加者は全部で14名でした。生まれも育ちも浅草芝崎町西町会の稲石さんのお姿や話しぶりは年齢よりも相当お若く見え、今も講座を主催した台東区シニアライフ応援計画実行委員等さまざまなところでご活躍をされているそうです。
お話の中身は大きく4つで、①浅草芝崎町の町名由来、②菓子屋町のこと、③記憶に残る昔のこと、④現在の状況、でした。
まず町名の由来ですが、現在の西浅草三丁目は、浅草芝崎町東町会、浅草芝崎町西町会、浅草芝崎町中町会、西浅草三丁目北部町会の4町会によって構成されており、その元をたどると明治2年に浅草芝崎町として始まり、その後昭和11年に芝崎町一丁目から三丁目になり、昭和40年に住居表示の実施により西浅草三丁目になったそうです。芝崎という名称は江戸時代の明暦の大火後、日輪寺、東光院、天嶽院、称住院の寺地になり、日輪寺が嘗て芝崎村(現・千代田区大手町付近)にあったことから「芝崎道場」と称し、その後移転してからもそう呼ばれたことに因んだとても由緒のある名前だとのこと。住居表示により、芝崎という地名が改変されてしまったことがとても残念だとのお話でした。
次は、浅草芝崎町には以前お菓子屋さんが沢山あったという話。神田にあったお菓子屋さんが関東大震災後の区画整理で錦糸町に代わりの土地をもらったのだけど、昭和3年に神田に近い浅草に移ってこられて、一時は200軒もの菓子屋のお店があったそうです。そのお菓子の種類も、おこし、カルメ焼き、みじん粉、求肥、金平糖、あんず、ラムネ、有平糖、あんこ玉、ボンボン、落雁、金花糖など、とても懐かしいたくさんのお菓子屋さんがあったそうです。講師の稲石さんのお宅では金花糖を作っておられたそうで、金花糖は、煮溶かした砂糖を鯛や犬張子等の木型に流し込み、冷やして固め、食紅で彩色した砂糖菓子で、ひな祭のお祝いによく用いられていました。
その飴から転じて、今のアメ屋横丁のアメになったのです。知っていましたか? 残念ながら、日本が高度成長期に入ってお菓子屋さんはほとんどなくなってしまい、今は一軒だけ「梅源」というお店だけが残っているそうです。
記憶に残る昔のことは、なんと言っても浅草の三社祭。お祭りのときに神輿を担ぎたくてやって来るよその人たちと見分けがつくよう、町会ごとの名前の入った半纏をきて対応したとのこと。このような町会で一致団結する機会があると、町会活動も活発で長続きするのでしょう。浅草ならではの、とても羨ましいことだと思います。また普段は、神社の境内でたくさん遊ばれた記憶が残っているそうです。
最後は、現在のこと。このような歴史がある地域活動に、親子で興味をもってもらい、子供さんたちに受け継いで行けるように今回のような活動を継続されていらっしゃいますし、他の地域でも同じような活動が展開されることを望んでおられました。
*イベント・活動は「地域参加のトビラ」のHP画面から参加申込のうえ、ご参加ください。