東京まちかど通信
第7走者 冨永千晶さん
賛育会病院地域連携室課長として、地元の声を聴きながら、地域と病院のつなぎ役となるため、日々、奮闘しています。
——仕事について教えてください。
医療ソーシャルワーカー(略称:MSW)として、社会福祉の視点で、患者や家族の方々の相談に乗ることで、相談者と医療機関等の専門機関とのつなぎ役になる仕事をしています。医療費や生活費の心配、病気や療養についての悩み、退院後の生活の不安といった様々な相談をお受けします。
一般的には、病院内で相談をお受けすることが多いですが、賛育会病院の地域連携室の特徴として、MSWが自ら地域に出ていくことが多いです。まちの空気を知りながら、地域と専門機関をつないでいくことを常に意識しています。患者さんのお宅へ診断書を直接届けにうかがったり、町内会長さんとお話をしたり、地元のお祭りに参加したりと、顔の見える関係づくりを大切にしています。
——この仕事についたきっかけは何ですか?
学生時代、ガール・スカウトをやっていて、海外派遣でネパールへ行ったのですが、そのときに、首都カトマンズの病院を見学する機会があり、そこでネパール人のソーシャルワーカーの方と知り合ったんです。医師でもなく、看護師でもなく、ソーシャルワーカーという仕事があるんだと興味を持ったのが、きっかけでした。その後、専門学校に通い、福祉の勉強を始めました。
最初は、特別養護老人ホームに入職したんですが、入所されている高齢者の方たちと接するなかで、この方たちの生活の質を高めるために、自分ができることは何だろうと考えながら、いろいろなイベントを企画し始めたのがソーシャルワーカーとしての原点ですね。茅ケ崎の海の近くにある施設だったので、海を見に行こうという企画をしたり、近くのショッピングモールへみんなで行ったりもしました。
その後、横浜市の病院での勤務を経て、2013年1月から2014年3月まで、東日本大震災の被災地である宮城県石巻市の社会福祉協議会でも働いて、2014年4月から墨田区の賛育会病院で勤務しています。
——被災地ではどんなお仕事をされていたんですか?
石巻市へは、日本医療社会福祉協会・災害支援活動の一環として、1年間「地域福祉アドバイザー」という立場で出向しました。現地では、在宅医療ケアの必要な小児のレスパイト(注:在宅で乳幼児や障害者(児)、高齢者などを介護(育児)している家族に、支援者が介護(育児)を一時的に代替してリフレッシュしてもらうこと)の受入れの調整や、病院が位置する町内会との連携に携わっていました。
被災地へは、つい最近、熊本地震で被害を受けた益城町にも行ってきたところです。おもに、益城町体育館で、避難所内でのまちづくりに取組みました。現地では、福祉避難所もいくつかできてきていますが、やはり、できる限り家族で一緒にいたいというニーズがあった。そうしたニーズを受けて、同じ避難所内の建物において、小さなお子さんもいる家族などに対し、様々な配慮をYMCAが行ったことに感銘を受けました。そこで、敷地内のもう一つの建物を福祉避難所として配置転換できるよう現地の運営スタッフと協議を重ねました。それは、ご家族がいつでも顔を見に行けるようにできれば良いと思ったんです。
また、被災地では、個々の要支援者のニーズをいかに集約し、関係者間で情報共有するかが、とても大切でした。日赤災害医療の医師や保健師の方と連携し、情報を一つのエクセル・シートに落とし込んで、毎朝の朝礼などでそれを紙で配ることで情報共有するよう工夫しました。
支援期間は、合わせて2週間ほどでしたが、きちんと経過を記録して、要支援者の方が、今後、仮設住宅へ移ったとしても、次にその人を支える専門職へと、着実につなげる仕組みを構築することに力を注ぎました。ただ、被災地であろうと、東京であろうと、まちをベースにつながっているので、生活者の視点で、支援する方のニーズをくみ取って、つないでいくという仕事の基本は、変わらないと思います。
——冨永さんにとって、この仕事のやりがいは何でしょうか?
私はいろいろなことを企画するのが好きなので、アイディアを事業としてかたちにし、地域と病院をつないでいくのが楽しいですね。とくに、文字にすると頭が整理できるので、いつも思いついたアイディアを書き留めるための企画ノートを持ち歩いています。
地域の病院が、地元のつなぎ役となって、認知症の方も、子育て世帯も、元気な方も、いろんな人が自然に集まれるような場づくりができるのが理想ですね。すみだ水族館とコラボレーションして、保健師さんや助産師さんにも参加してもらう両親学級を開催したり、ヒューマノイドロボットのPepperを導入したりもしました。
墨田区は、外国人の患者さんも多いので、将来的には、医療通訳のボランティアを育てたり、多言語対応のアプリなんかも開発したりできたら良いなと思っています。アイディアが有りすぎて、ときどき部下からストップをかけられることもあります(笑)
——医療ソーシャルワーカーの枠組みを超えて、様々な人や団体のつなぎ役になっているんですね。
私たちの地域へのアプローチは、業界内でも浸透しているやり方とは言えないので、理解を得ていく上で、難しい部分もありますね。でも、私はめげないタイプなので(笑)
都内でも、ここまで積極的に地域とのつながりを持っている病院はなかなかないと思います。賛育会病院は、もうすぐ創立100年となる歴史ある病院なのですが、地域の方たちから、とても大切にしていただいています。一方で、私たち、病院側から積極的に地域とつながりを持つアプローチは、これまであまりなかった。医療ソーシャルワーカーとして、効果的に役割を果たしていくために、まずは、この病院を地域包括ケアの拠点として、地域の医療福祉関係はもとより住民の方々との関係を構築していきたいと思いました。入職して3年目となりますが、ようやくそれがかたちになってきていると感じます。
——とても精力的な働きぶりですが、冨永さんをここまで支えてきたものは何でしょうか?
私には、医療について理解のある他職種の友人がいるんですが、そういう仲間と意見を交わすことで、インスパイアされ、サポートしてもらった部分が大きいですね。別の業界で働く人に自分の企画を説明することで自分の考えも整理されますし、新たな視点を得られたりするんです。
——医療ソーシャルワーカーを目指している方や地域福祉の担い手の方へメッセージをお願いします。
私たちの仕事は、地域の方々の生活を支えることなので、決して退院支援等の自己満足で終わってはいけないと思います。例え、認知症を患っている方であっても、その人なりの意思はある。人の生命・人生に関わる選択肢を提示する仕事なので、責任は重大です。専門職だからといって、病院に留まらず、もっともっと積極的に地域へ出ていってほしい。まちづくりは、地域包括ケア、ひいては福祉の基本だと思う。ソーシャルワーカーが地域で活躍すれば、その分、まちは元気になると思うんです。
職場の方から見た冨永地域連携室課長
小松医師
賛育会病院は、地域に根づいた下町の病院ですが、冨永さんが来るまでは、あまり上手に地域との関わり合いを持てているとは言えませんでした。冨永さんは、入職後まもなく、びっくりするぐらい自然に地域に入っていって、地元の方たちとの関係性を築いていったので、とても感心したのを憶えています。おかげで、私たち医師も、地域の開業医の方や住民の方たちとのつながりが強くなった。地域連携室がつなぎ役になって、地元のいろんなニーズを拾ってきてくれるので、ドクターたちも、とても勉強になるし、心強い。本当に彼女が来てから、右肩上がりに病院が良くなっていると感じます。
秋本さん
私の仕事は、冨永課長のアイディアや企画を、具体的に事業として落とし込んでいくことです。予算や日程の調整など、事務的な部分でのサポートをしています。地域連携室は、医療ソーシャルワーカー4名と事務職3名という体制ですが、私を含め、職場の皆が、冨永課長と一緒に仕事をすることを楽しんでいると思います。本当に明るくて、パワーのある方です。おかげで、他の病院の関係者からも、「賛育会病院は、最近、面白いことをやっているよね。」と言われることが増えました。
インタビューを終えて
「まちの空気を感じつつ、つないでいくことを大切にしている」という言葉がとても印象的でした。冨永さんのように、既存の枠組みを超え、次々と新しいことに挑戦していくバイタリティーのある方が東京の福祉を支えてくださっていることは、本当に「頼もしい」の一言です。
冨永さんの職場はこちら
1918年3月、キリスト教の隣人愛に燃え、その実践を志す人達が創立。当時社会において特別な奉仕が必要とされていた婦人と小児の保護・保健並びに医療活動を基盤とし、社会の要望にこたえて一般医療・老人福祉へと奉仕の業を拡大して今日に至る。
(公開:2016年6月15日)