若年性認知症家族会 彩星(ほし)の会
- 地域
- 新宿区
- プロボノ支援内容
- 印刷物(パンフレット等)
- 支援時期
- 2018年度
- 活動カテゴリ
- 認知症支援、居場所、介護者支援
経験やスキルを活かしたボランティア活動=“プロボノ”との協働による
団体の運営課題解決の事例から、協働のポイントや、支援後に生まれた変化等をご紹介します。
社会のなかで孤立しがちな若年性認知症の患者、家族を支える活動団体。先駆者として当事者の拠りどころとなってきたが、設立から17年にして、会費と寄付による運営に困難が生じていた。
必要とされる活動を継続的に行うために、より多くの寄付金を集めることを目指し、会の活動の意義、協力を呼びかけるメッセージを発信するパンフレットを制作する。
単に活動資金を募るに留まらず、当事者の生の声を伝える書籍の刊行を決め、その制作資金を募るパンフレットを制作した。その後、予想を上回る寄付が寄せられたことにより、無事に刊行に至った。
認知症は、一般に高齢になるほど発症率が上がるとされる病ですが、近年、65歳未満で発症する「若年性認知症」の存在が、徐々に知られるようになってきました。厚生労働省の2020年度調査によると、全国の若年性認知症者数は約3万5700人。有病率(18〜64歳の人口10万人あたりの認知症者数)は、2009年度調査時の47.6人から50.9人へとやや上昇しています。しかし、この病気の実態と、患者が抱える問題に対する理解が十分に広がっているとはいい難い状況です。
若年性認知症には、まさに若年であるがゆえの困難がさまざまに生じます。発症年代は50代が最も多く、患者本人も、多くの場合そのパートナーも現役世代であるため、本人はもとよりパートナーも離職せざるを得ないなど、経済的苦境に陥るケースが少なくありません。その影響が子の生活にも及ぶこと、介護期間が数十年にわたることなど、この病気に特有の問題の多くは、解消されないまま積み残されています。
医師の宮永和夫さん(現・南魚沼市立ゆきぐに大和病院 認知症疾患医療センター長)ら数人が発起人となり、「若年性認知症家族会 彩星(ほし)の会」が設立されたのは、未だ認知症という名称が一般化しておらず、痴呆症と呼ばれていた2001(平成13)年のこと。設立の目的は、患者本人と家族への援助、若年性認知症に対する理解を深める活動、専門的な治療と介護の向上、そして福祉の充実を図るための活動にありました。現在の副代表である羽鳥彰紘さんは、「当時は、この病気がいまほど知られていませんでしたから、当事者は周囲から理解を得られず、職場にもいえず、病院にも行きたがらず……とさまざまな問題を抱え込んでいた状態。まずは知識を共有したり、家族同士で支え合ったりするところから活動が始まりました」と語ります。
その後、あらゆる活動が当会に集中することの負担が増していったため、2007(平成19)年に「若年認知症サポートセンター」を別組織として設立。医療や福祉の専門職による患者・家族への支援活動、及び専門職者への研修活動を独立させました。以来、本来の家族会としての「彩星の会」は、
・定例会(専門家による講演と、患者・家族の交流/2ヵ月に一度)
・会報『彩星だより』の発行(2ヵ月に一度)
・電話相談(週に3日)
・家族旅行(年に一度)
の4つを軸として活動を継続。はじめはその扉を開けることにすら不安をおぼえるという当事者にとって、鎖からほどかれるような拠りどころとなってきました。とりわけ定例会は、患者家族の先輩メンバーも参加するため、「悩みを解決するヒントをもらったり、愚痴を聞いてもらったりできる大事な場所。お酒が入る二次会も盛り上がるんです」と羽鳥さん。閉じた日常の空間から抜け出す意味でも、貴重な集いとなっています。
「彩星の会」がプロボノプロジェクトに参加することになったのは、2018(平成30)年のこと。当時は、東京都内にも全国にも、小さな地域ごとに活動する家族会が広がりつつありました。羽鳥さんは、「患者さんやご家族が、近くの地域の会に行き着ける環境ができていくことは、喜ぶべきこと」としつつ、会費と寄付によって運営してきた「彩星の会」は、入会者数が増えずに財政的に厳しい状況にあったと明かします。プロボノチームとの協働の目的は、会の活動の意義を改めて発信し、より多くの寄付を募ることにありました。
2018年秋、寄付を呼びかけるためのパンフレット制作を目指し、協働がスタートしました。多くの人に心を寄せてもらうには、会の確かな価値と、インパクトのあるメッセージを届けることが必要との考えのもと、プロボノチームは、「彩星の会」とは何なのかを掘り下げる調査を実施。全国の家族会員・賛助会員へのアンケート、定例会の現場へ赴いての当事者や世話人へのインタビュー、会の顧問を務める専門職者へのインタビューなどを重ね、その結果を詳細に分析して提出しました。羽鳥さんは、「我々の強みも弱みもすべて示していただけたことがありがたかった」と振り返ります。会の最大の強みは、若年性認知症の家族会として最も古く、全国の大勢の会員、専門職とのつながりを持っていること。定例会に足を運ぶ各地の人々から、よい場であるとの信頼を得ていること。それらの評価が、確かな自信につながったそう。
一方で羽鳥さんは、寄付を募る糸口として、一度は断念したという企画を掘り起こしました。それは、会報『彩星だより』で最も読まれているコンテンツであり、患者の家族が自身の体験、悩み、思い出を綴ってきた「人今人(ひといまひと)」を一冊にまとめるというもの。プロボノチームの調査結果を受け、きっと読んでもらえる本になるとの確信を得た「彩星の会」は、設立20周年となる2021(令和3)年に向け、制作を決定したのです。パイオニアとしての蓄積をもつ当会だからこそ可能な発信の形であり、寄付の呼びかけも、この出版プロジェクトの実現に向けて行うことになりました。
以上の経緯を経てプロボノチームが完成させたのが、「『百の家族の物語』制作プロジェクトのご案内」と題したパンフレットです。若年性認知症と向き合ってきた家族の言葉を、世に届ける意義と決意を記したパンフレットは、2019(令和1)年秋より配布され、会員のみならず一般からも、予想を上回るスピードで寄付が集まったそう。
最終的に150万円を超えた寄付金を制作費とし、2021(令和3)年秋、創刊当初からの寄稿を丹念に編み上げた『百の家族の物語 若年性認知症本人と共に歩んだ家族の手記』がついに完成。以来約2年、各地で活動する家族会の運営者や支援スタッフから、「私たちの会員にも配りたい」と注文が入るなど、静かな反響を広げてきました。その後2回、増刷もされ、「家族の方自身が書いた生の記事であることが、読まれ続けている理由ではないか」と羽鳥さん。何より、本書の堅実な売り上げが、会の継続的な活動を支えている点を忘れるわけにはいきません。
「彩星の会」が本の刊行へと歩みを進めていた時期は、コロナ禍の初期と重なっていました。患者本人とその家族が集い、学び、支え合う定例会を重視してきた当会にとって、苦境であったことは確かですが、その渦中、多彩なアイデアを実行に移すしなやかさも発揮してきました。隔月の定例会は、zoom開催に切り替えて継続(現在は対面形式を再開)。毎週火曜夜に始めたウェブサロン、代表の森義弘さんが中心となって立ち上げた高尾山登山の会も好評で、「一回目の登山に参加したご夫婦の姿が、この活動の源流となりました。『夫(患者)がこんなに喜ぶ顔は、年に何回もない』とおっしゃった姿が忘れられない」と森さん。いずれも、今後も継続する企画として着実に育っています。
とりわけ当会が意義を感じているのは、高尾山登山への参加者が「彩星の会」の枠を越え、他の家族会へ、一般へ、子どもへと広がりつつある点。若年性認知症への理解を広げ、共に生きる地域社会をつくっていく糸口としても、価値ある催しとなっていきそうです。
このように共助の歩みを模索してきた「彩星の会」の20年余りの一方で、社会全体は、患者と家族が安心して生きられる環境を整えてきたのでしょうか。2015(平成27)年、若年性認知症に関わる問題に多面的に対応する「若年性認知症支援コーディネーター」が各都道府県に配置されたことや、2023(令和5)年に成立した「認知症基本法」において若年性認知症にも光が当てられたことは、一定の前進といえるでしょう。しかし、「若年性と、高齢者の認知症とではニーズが異なります。若年性の方たちの多くは、できる限り自分の力で生きたいのに、それを支える仕組みがずっとないままの状態」と指摘するのは、当会を宮永医師とともに立ち上げ、その後も専門職として支えてきた比留間ちづ子さん。若年性の場合、症状によって買い物先で支払いを忘れるようなことがあったとしても、食事もトイレも、自分で行える。しかし、認知症であるがゆえに、適用される制度は介護保険のみというのが実情で、「身近で利用できるサービスが、80代90代の方たちが集まるデイサービスしかない、ということが実際に起きています」と比留間さん。解消すべき制度設計上の齟齬が、いまもあり続けているのです。
代表の森さんも、若年性ゆえに生じる問題の解決を、医療関係者に訴え続けています。「日本では何でも自己申告制でしょう? でも、若年性認知症の方たちは、経済的にも精神的にも追い詰められ、その余力がありません。診断が下されたら、その足で行ける相談室があり、手当のこと、利用できるサービス、家族会のことなど、すべてサポートしてもらえるというくらいのシステムを、医療の現場でつくっていただきたいんです」
目の前のミクロな困りごとと向き合いながら、地域内での理解を深め、マクロな問題の解決に向けた働きかけも怠らない。変わらぬ歩みが、これからも続いていきます。
(2023年6月取材)