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    東京まちかど通信

    VOL.06

    地域のお元気さん

    お元気なシニアをクローズアップ!健康の秘訣や趣味などをご紹介します。


    今回は、敬老の日にちなんで、今年満100歳を迎えられたお元気な方4人を取材しました!

    玉置 文子(たまき あやこ)さん

    (満100歳 世田谷区在住)

    〈プロフィール〉

    大連市(満州)生まれ。2歳の時に満鉄調査課の父が亡くなり、母と兄との三人で先祖代々の地である祖父のいた大分市に戻り、その後、東京都赤坂に移る。女学校の時に神戸、大阪で一時過ごした後、再び東京(世田谷)に戻り現在に至る。

    いくつかの学校に赴任した後、都立高校の家庭科教諭を定年まで勤める。

    ──趣味や日課について教えてください。

    今の趣味は、英会話と中国語の会話です。色々な国に行き、現地の人とお話しをしたいと思っています。東京オリンピック・パラリンピックの際には、多くの外国の方とお話しすることを楽しみにしています。

    日課は、朝、ラジオで英会話を聴き、朝食後中国語会話を聴いています。日中は、訪問リハビリやヘルパーの方々のお世話になっています。週に一回、リハビリのために近所のデイサービスに、半日だけですが通っています。

    ──とてもお元気でいらっしゃいますが、元気の秘訣があれば教えてください。

    好きなことをやるということ。くよくよしないこと。何でもよく食べることです。特に、手作りのヨーグルトは50年間、欠かしたことがありません。

    かつては、ゴルフをしていました。まだ、女性ゴルファーがとても珍しい時代でした。その頃、よく歩いたことも健康に良かったと思います。旅行も好きです。定年後、色々な国に行きましたが、最近では、5年ほど前に象に乗りたくて、タイに行ってきました。リハビリをしっかりとやって、また旅行に行きたいと思っています。

    ──思い出に残っていることを教えてください。

    都立松原高校の思い出が、一番印象に残っています。学校創立の準備段階から加わり、同僚とともに、生徒募集のビラを電信柱に貼って回ったことを初め、定年まで多くの生徒との学校生活が一番の思い出として残っています。教え子たちは、今では本当の子供や孫のようです。

    昨年は、白寿の会。今年は、百寿のお祝いを家族や親せきはもちろん、多くの方々、さらに教え子たちにお祝いをしていただき、とてもうれしかったです。感謝、感謝の毎日です。


    仁杉 巖(にすぎ いわお)さん

    (満100歳 杉並区在住)

    〈プロフィール〉

    東京生まれの東京育ち。大学卒業後、鉄道省入省。新幹線建設に貢献。その後、西武鉄道社長を務めた。日本鉄道建設公団総裁を経て、第9代国鉄総裁に就任。1988年に勲一等瑞宝章受章。現在は、株式会社エフエムナックファイブ最高顧問。現在も精力的に鉄道・土木業界に係わり、後進の指導にあたっている。

    ──趣味や日課について教えてください。

    今まで2社の相談役や顧問をやっていたが、百歳を機に一つ辞め、現在はNACK5の相談役のみです。もともと土木業界、特に鉄道の業界に長く籍を置いてきた。そのため、現在でも相談を受けることが多いです。

    他に月に一度「仁杉学校」というものがあって、鉄道土木業界の人たちが集まり、経験の発表や議論を行っています。ここでの成果は、時々JRへフィードバックしています。

    ──とてもお元気でいらっしゃいますが、元気の秘訣があれば教えてください。

    特になにもありません。

    強いて言えば、睡眠をしっかりとることくらいでしょうか。あとは、月に1度、定期健診を受けています。悪いところは早めに対処しています。そのため、今まで大きな病気もしたことがありません。

    ──趣味などは、ありますか。

    勉強が趣味。様々な仕事をしてきましたので、関連したことについて勉強をしなければなりません。仕事関連したことを実用化することが趣味。本も読みますが、ほとんどが仕事に関連するものです。

    ──今後挑戦してみたいことは。

    いろいろやってきました。

    東海道新幹線、青函トンネル、北陸新幹線の坂越え、中央線の立体交差等々、たくさんあります。今後は、後進に何を残してやれるかを考えています。


    松尾 倭文子(まつお しずこ)さん

    (満100歳 武蔵野市在住)

    〈プロフィール〉

    大阪府堺市生まれ。奈良女子高等師範学校(現在の奈良女子大)を卒業後、滋賀県、大阪府で高校教師として国語を教える。終戦後は、神奈川県社会教育主事、婦人教育係長として、戦後の婦人教育に尽力。1962年には、第2回婦人視察団の一員として、訪ソ。その後、武蔵野市教育委員、東京家庭裁判所調停委員を歴任。現在は、月2回の日本古典文学研究会に参加し、古典文学の研究を続けている。

    ──趣味や日課について教えてください。

    子供は3人で長男、長女、次女。現在、次女夫妻と同居しています。

    日中は読書を楽しんだり、週に一度のデイサービスに通い、体操をしたりしています。

    また、古典文学研究を高等師範学校時代より続けており、奈良女子大出身者の古典文学の勉強会が阿佐ヶ谷であるので、月に2回、バスと電車を乗り継いで通っています。古典文学は、生きがいでもあり、生涯学び続けたいと思っています。

    ──とてもお元気でいらっしゃいますが、元気の秘訣があれば教えてください。

    考えたこともありませんが、もともと体は丈夫。入院したのは、お産の時くらいかも。

    週1回通うデイサービスでは、体操をしています。

    政治のことや普段のニュースをよく理解し、必ず自分の考えや意見をはっきり持ち、妥協しない姿勢が元気の秘訣ともいえると思います。

    ──思い出に残っていることを教えてください。

    終戦後、神奈川県社会教育主事、婦人教育係長として、婦人の民主化教育を行いました。

    77歳で他界した夫は成蹊大学の教授でした。夫の研究に同行し、アメリカ合衆国で暮らしたこともありました。また、1962年に婦人視察団の一員として、ソビエト連邦に行ったことがあります。その様子を本に出版。昨年の百寿を機に、復刻しました。


    村石 セン(むらいし せん)さん

    (満100歳 大田区在住)

    〈プロフィール〉

    神奈川県川崎市生まれ。結婚を機に、東京に移り住む。現在の店舗は、60歳ころに開店したもの。今でも自販機の売上げの管理をやっている。

    手芸が大好きで、月4回の老人クラブの手芸教室を楽しみにしている。

    ──趣味や日課について教えてください。

    毎朝、朝食前に家の周りの掃除、洗濯、朝食後は新聞を読んだり、テレビを見たりして過ごしています。昼食後は、昼寝をしたり、相撲中継があるときはテレビを見たりして過ごしています。夕方になると自動販売機のお金を回収して、売上げの計算をしています。

    基本的には体調は良好。掃除や洗濯等、身の回りのことはすべて自分でやっています。今は、老人クラブで月4回やっている手芸が楽しい。作品もいっぱい作りました。友達に会えるのも楽しい。

    ──とてもお元気でいらっしゃいますが、元気の秘訣があれば教えてください。

    なんでもよく食べて、感謝をすること。

    母からなんでも食べなければいけないと言われて育ったので、嫌いなものは全くありません。息子夫婦が、いつも美味しいものを食べさせてくれるので、感謝して頂いています。

    ──思い出に残っていることを教えてください。

    出身は、川崎。実家は農家でした。まだ大師橋(多摩川上の川崎―羽田間に架かる橋、旧橋は昭和14年完成)が無い頃、毎日渡し船に乗って、実家で作っていた野菜を売りに来ていました。その時の客の知人の紹介で知り合った夫と結婚、都内に住むようになりました。

    現在の店は、昭和45頃(当時60歳前後)からやっています。近くに工場がいっぱいあったので、たくさんお客さんが来ました。その当時は、夫は勤めにでていたので、一人でやっていました。

    ──長生きしてよかったと思うのはどんな時ですか。

    老人クラブに入って、好きなことができるようになったこと。

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