東京ホームタウンSTORY
東京ホームタウン大学講義録
「地域参加のトビラ つながる見本市」オープニングセッションレポート
人生100年時代を自分らしく楽しむ!~身近にあるけれど知らない世界へ。はじめの一歩の心得とは
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木下紫乃氏によるプレゼンテーション
■紫乃ママの「スナックひきだし」にさまざまな人が集まる理由
木下:はい、木下紫乃と申します。私は髙橋さんよりは、少し若いかな。そして、髙橋さんよりも少し早く会社を辞めました。私は1991年に新卒で社会人デビューしたので、今56歳です。会社を5社ぐらい転職しました。今は5社というとそんなに多くないでしょうか? 当時は多い方だったのですが、そのあといろいろあって、今はスナックのママと、研修の講師もさせていただいています。
なぜ私が今スナックのママをやっているのかというところを整理してみましたので、少し自分語りをさせていただこうと思っています。
まず、私は本当に飽き症なんです。今でいうキャリア志向はまったくなく、就職活動をいち早く終えたくて、当時はリクルーティングをしてくれるいい人がいたので、その会社に決めちゃうというような、割と雑に決めてしまっていたくらいです。仕事がつまらなくなってはすぐに転職するという、どこに出しても本当に恥ずかしい人生というのが私のキャッチフレーズなのですが(笑)、いろんな仕事をしてきて、30代後半ぐらいに飽きてきちゃったんですよね。本当は仕事とか飽きたりしてはいけないと思うのですが、正直、飽きてきちゃったんです。
管理職志望はなくて、当時は女性が管理職になる道もあまりなく、とはいえ会社を辞める勇気もありませんでした。その時、なんと今日このイベントの運営をされているサービスグラントさんのことを、テレビで見たのです。そこで「プロボノ」※という言葉を初めて聞きました。いろんな人がチームになって、NPOさんなど社会課題を解決している団体さんのお手伝いをする団体の存在を知って、「なんか面白そう」と、ごく単純な気持ちで登録をしました。
※プロボノ=経験やスキルを活かすボランティア
サービスグラントさんは、自分にはこれができますよというスキルに応じて、たとえば「私は営業をやっていました。営業ができるということは多少コミュニケーションもできるかな」という感じで登録をします。すると「このNPOさんの運営課題解決のために、このチームでお手伝いをしてあげてください、そこで、NPOさんのやりたいことのヒアリング担当をしてください」というように設定いただいて、ボランティアで手伝うということをコーディネートされている団体さんです。
そこで私は本業の仕事に飽き飽きしていたので、ちょっとやってみようかなと始めてみました。だいたい半年ぐらいのプロジェクトを2つか3つやらせていただいたと記憶しています。これがとても面白かったのです!
なぜなら、今までは会社の人たちとワイワイしていることが多かったのですが、組織以外の会ったことのない人たちと出会うことになったのです。他の皆さんの参加している理由もそれぞれでした。志高く「社会貢献がしたいんだ」という人もいれば、「会社にいるとみんなモチベーションが低いけど、ここに来るとみんなモチベーション高い人がいるので楽しくてやっています」という人がいたり、あとは公務員の方は副業ができないけれど、やっぱり何かお手伝いしたいと、参加されていた方もいました。そういう方々と会うことがなかったので、とても楽しくて、ちょっと落ちてた気持ちがだいぶ上がったのです。
その時に、今までとは全然違う人のつながりと経験が増えましたね。本当は仕事の部分でやれることもあったのかもしれないけど、仕事には飽きていたところに、視野が広がり、つながりも広がったのです。
その後ですね、40代半ばです。また、仕事と人生に限界が見えてしまいました。
どうしようかと思っていたところで、最初にいた会社の先輩が大学院に行っていたことがわかりました。その手があったか! と。毎月会社からお金が入ってくることがなくなるのはやっぱり不安だということで、会社にいながら大学院に行く選択をしたのです。45歳になっていましたが、社会人向けの大学院ではなく学部から上がってくる子たちが多い大学院でした。なので、今度は世代の異なる人たちと出会う機会がたくさん増えて、とても大きな発見がありました。
私の世代はよく「今の若いもんは」などと言いますが、今の若い人はとても優秀です。私なんて、プロジェクトワークでも、資料作成などは全部やってもらったりしていました。
そんな中で、彼らが上の世代に対してどのように考えてるかということを、すごく学ベたんですね。私の隣の若い女の子に「紫乃さんみたいに適当に生きてる40代は初めて見ました」などと言われて、「え、それは褒めているの? けなしているの!?(笑)」というような会話をしたぐらい、彼女・彼らにとって40代・50代になることは、つまらないことだと思っていたみたいです。
そこで私は、「それってどうなんだろうな?」とモヤモヤするなかで、これからどうしようかなと考えました。5社も転職してそれでも飽きてしまいますから、おそらく今後も同じように繰り返すように思い、それで、ついうっかり仕事を辞めてしまったのです。
プロボノ活動や世代を超えたタテヨコのつながりが増えていったので、自分で何かを始めても助けてくれる人がいるのではないか、というほのかな自信のような気持ちが出てきていたことが、背中を押したのだと思います。これが47歳ぐらいの時でした。
■人とのつながりに背中を押された感じ、退職へ
調子に乗ってその時に始めたことが、実は今にもつながっているのです。若い彼女・彼らに「上の世代はつまらない」ようなことを言われて半分悔しかったのと、たしかにそういう部分あるなと。よく上の世代である我々が若い人たちの支援をサポートしようと聞きますが、サポートしている場合ではないと思いました。我々が自分で自分らしく、イキイキと生きていくことがいちばん若い人たちにとって励みになるのでは、と思ったのです。
それで「人はいつからでもどこからでも挑戦できる」と、ちょっとかっこいいホームページを作って、奮発して50歳から、自分の選ぶ働き方を支援する会社を設立しました。
さまざまなセミナーや講座を作っていろいろと集客をし始めたんですね。すると…、誰も来ないのです。
いろいろとヒアリングをして、「ほら、みんなイキイキと生きたいよね。私たち世代はもっと頑張らないとダメだよね」など話したのですが、「いやいや、もう歳だし、もういいよ」「そんなことを自分がやるよりも、そんなお金があったら自分の子供に教育費で使う」と。どうも私が目論んでいた世の中とは異なるらしいということがわかってきたのです。というか、私は何もわかっていなかったんですよね。セミナーではなく、仕事をしていきたいという人たちの気持ちを、もっとちゃんと聴いていかなきゃダメだないうことに気が付いて、思いつきでスナックをやってみようということになりました。
私はスナック世代といいますか。会社の飲み会の2軒目には、上司の知り合いのスナックに連れて行かれて、カラオケをデュエットで歌わされるという世代でした。ですが、スナックで、みんなが隣の人と「どうも、どうも」みたいに話す空気がすごく好きだった感覚を覚えていたのです。
ああいう場所だと、もう少し本音で話せたり、あるいは自分が困ってることを話せたりできるのではないかと考えました。また、私たちの世代は飲み会の場に馴染みがある世代です。私は自分と同世代の人たちがもっと元気になることを実行するなら、場を作れば来てくれるのではないかと考えて、最初は友達のお店を借りて始めたのです。
月に2回だけ19時半ぐらいから21時半まで、イベント的な感じで勝手に看板を作ってきて、友達の店の看板に貼りました。すると、セミナーにはまったく人が来なかったのに、スナックを始めると人がどんどん来ました。カウンター10席ぐらいのお店なのですが、2列になったり、後ろで待っている人がいたり。そしてみんな隣同士になった人たちで身の上を話し始めるわけです。
当時、お店の入店条件として「45歳以上でモヤモヤを抱えている人」と掲げていたのですが、次第に30代やいろんな人たちが、行きたい行きたいと、言ってくれるようになりました。昼間に営業してほしいリクエストもあって、昼スナックを立ち上げ、。今は自分のお店で、昼間のスナックのママとして週に一日、立たせていただいています。
■計画もセオリーもいらない!きっかけはなんでもいい
私が言いたかったことは、やってみて初めてわかったということです。私は最初から何も計画しておらず、「スナックだったら気軽に来れる、スナックだったら本音で話せる」と考え、始めてみたのです。事業計画も一切立てず今も小さな一人会社です。動いてみて、やってみたらこうなった。うまくいかなかった、だからこうやったらうまくいった、という、経験の寄せ集めで今ここにいるのが、私の現状です。セオリーなどはどこにもないし、何かに従って実行したわけではないのです。
お店に来られるお客様は、本当にバリエーション豊かです。ある70歳の方は、55歳で早期退職をしてアパレル会社を経営されていますが、新しい人と知り合いたいといって通ってくださっています。50代の会社員の方は大きな会社に勤めておられる方で、会社卒業に向けて50代の人たちがどんなことで悩んでいるかを知りたいからイベントをさせてほしいと。私が最初に感じていたのと同じ感覚ですね。実際にイベントを開催されました。サービスグラントさんでプロボノをされた方も。また、60代の方で、障がい者施設に勤務されていますが、職場と家の往復になってしまっていたところを、「ここに来ると、俺の名前を呼んでもらえるから来るんだよね」とおっしゃっています。名前を呼ぶ・呼ばれることはとても大切なんですよね。とても素晴らしい会社にお勤めの方も、やりたいことが見つからないとおっしゃっていて、「やりたいことが見つからないなら、やりたくないことを全部やめていけばやりたいことだけが残るよ」というような話をしました。これはほんの一例ですが、本当にいろんな方が、人が人を呼ぶような感覚で来てくださっています。
きっかけはなんでもいいと思っています。スナックに行きましょうという話でもなんでもなくて、言いたいのは、先ほどの髙橋さんのお話になりますが、なんでもいいから新しいところに一歩を踏み出してみるということが、人生を変えていくと思います。それは自分自身がその経験をして、本当にそうだなと思っているので。気になったら出ていく、それはぜひやっていただきたいと思います。
そして、これもいつも言ってることなのですが、異なる領域の人やテーマとの出逢いの機会は、やがて必ず、何かに繋がっていきます。
同じ人とばかりいると情報が限られてしまいます。新しい人と会うことによって、こんな生き方があるんだ、こんな仕事の仕方あるんだ、こういうキャリアの積み方があるんだというように、生きたサンプルとして気が付きます。人間は、脳の中にない選択肢は得られません。でも目の前にサンプルがあれば、新たな選択肢になります。いつも言うのですが、 軽はずみでいい、何か気になったところには行く、気になる人には会うことをされてみてください。このようなメッセージを、私からは残させていただきたいと思います。ありがとうございます。
嵯峨:ありがとうございます。聴いているだけでわくわくしてくるような、もうムズムズして新しいことを始めたくなってしまうほどの勢いだったと思います。木下さんのお話は、計画性やセオリーがあったわけではないとおっしゃいましたが、髙橋さんのお話の中にあった、好奇心、持続性、楽観性、柔軟性、冒険心、これをすべて持ち合わせていらっしゃるんじゃないかなと。とにかくやってみよう、という好奇心。最初はセミナーを開催してガラガラだったけども別のやり方でやってみようとか、夜じゃなくて昼かなといったこととか、やり続けていくとだんだんいろいろなものが見つかることは、先ほどの髙橋さんのお話で説明されたこととつながります。
ここからは、クロストークでお二人のお話をより深めていきたいと思います。
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