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    東京まちかど通信

    かつてあった濃密なコミュニティの魅力を伝え今日の地域活性化につなげる

    NPO法人 馬込文士村継承会 理事長 井上幹彦(いのうえ みきひこ)さん

    大正から昭和にかけて、多くの作家や芸術家が居を構えた大田区の馬込・山王地区。後世、「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。世界的にも珍しいこうした街の歴史を次世代に継承するとともに、日本全国、そして世界にもその存在を発信していくことを目的に結成されたのが馬込文士村継承会です。その活動内容などについて、理事長の井上幹彦さんや会員の方々にお話をうかがいました。

    尾崎士郎、川端康成、山本周五郎、北原白秋、室生犀星、三島由紀夫など約80人もの作家や芸術家が暮らしていました。

    馬込文士村継承会理事長の井上幹彦さんにインタビュー

    ――まず、「馬込文士村」についてお教えください。

    明治時代の末期から昭和30年代にかけて、大田区の馬込・山王地区に約80人もの小説家や詩人、画家が集中して居を構えて活動していました。このことが後年、「馬込文士村」と呼ばれるようになったのです。その顔ぶれは、小説家や詩人では『人生劇場』で有名な尾崎士郎、ノーベル文学賞を受賞した川端康成、『樅の木は残った』の山本周五郎、数々の童謡で有名な北原白秋、「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」でお馴染みの室生犀星、そして壮絶な自死を遂げた三島由紀夫などがいます。画家では小林古径や川端龍子、奥村土牛といった著名な人がいました。

    昭和初期の大森駅山王口

    ――では、馬込文士村継承会はどういった活動をされているのでしょうか?

    まず、馬込文士村を構成していた作家や画家たちの作品や活動の足跡を紹介する文化講演会を年6回開催しています。講演会はそれだけではなく、「大田にこの人あり」というテーマで、ユニークな活動や興味深い仕事をしている地域在住者を講師に招いて行ってもいます。つい最近は、日本航空の機長を長年務め、天皇陛下や首相を乗せた特別機の操縦も担った方の講演会を行いました。また、馬込文士村界隈はじめ、本郷や鎌倉など文学の由緒のある他地域の散策に出かけたり、文化に接するには心を豊かにしておこうとミニコンサートを開いたりしています。最近では、クラシックギターの第一人者である荘村清志さんをお招きすることができました。そのほか、馬込文士村の継承にかかわる文化遺産や散策ルートの整備・保存の提案や陳情も行っています。その成果としては、まず尾崎士郎の暮らした家を大田区が「尾崎士郎記念館」として整備したことが挙げられます。

    平成20年にオープンした「尾崎士郎記念館」。書庫や客間、書斎など当時の雰囲気を再現した記念館で、馬込文士村継承会の拠点ともなっています。

    平成20年にオープンした「尾崎士郎記念館」。書庫や客間、書斎など当時の雰囲気を再現した記念館で、馬込文士村継承会の拠点ともなっています。

    さらに、尾崎の命日である2月19日には毎年「瓢々祭」を開催しています。人を集めるのが好きだった尾崎を偲んで、地域の学校の体育館や公共施設で地元の方々のコーラスや演奏会などを行って楽しんでいます。平成24年度に大田区の「地域力応援基金助成事業」に認められ、その助成金で馬込文士村を紹介する展示パネルや小冊子を作成しました。これを足掛かりに、活動領域を従来の馬込・山王地区から大森海岸や平和島、蒲田といった地区まで広げています。

    尾崎の命日である2月19日に行われる「瓢々祭」(写真左上)をはじめ、様々な活動を行ってきた馬込文士村継承会。懇親会(写真右上)や、ミニコンサート(写真右下)。さらには地元の小学校などでの特別授業(写真左下)など、その活動内容は多岐にわたっています。

    講演会も「サロン」と名付けて気軽に聞けるスタイルに

    ——具体的に、どのように活動を広げているのでしょうか?

    平成20年にオープンした「尾崎士郎記念館」。書庫や客間、書斎など当時の雰囲気を再現した記念館で、馬込文士村継承会の拠点ともなっています。

    平成24年4月1日から1カ月間、蒲田にある日本工学院専門学校で、同地を舞台にしたNHKの連続テレビ小説『梅ちゃん先生』に関する展示会が開かれました。そこに馬込文士村の展示パネルを出展させてもらいました。また、平和島の娯楽施設にも展示させてもらいました。興味深く見入っている方々が結構いらっしゃいましたね。

    ——そういった活動を通じて、どういったことを目指しているのでしょうか?

    まずは地域の人を中心に、馬込文士村を知ってもらうことが第一です。これだけの文学者や芸術家が一時期に集積した地域は世界的にも極めて珍しく、しかもその文士たちの様子がとても魅力的なのです。そんなコミュニティが80年ぐらい前にここにあったということを知ることで、地域に愛着を持っていただき、地域活性化の推進力になればという思いで取り組んでいます。

    また、それだけでなく、参加する方にはできるだけ楽しんでいただきたいと思っています。文字離れの世の中にあって、文学の研究といったことを前面に押し出しても敬遠されてしまうでしょう。ですから、講演会も「サロン」と名付けてお茶を飲みながら気軽に聞けるスタイルにしたり、展示物や資料などもできるだけ写真や映像を多用したりするなどの工夫をしています。

    平成24年11月に開催された「馬込文士村カレッジ~フォトジャーナリストが見た、移りゆく東京そして大田~」ではパネル展示もあわせて行いました。

    地域の記憶が風化しそうであったことに問題意識を持ったことが始まりでした。

    ——会員数はどれぐらいでしょうか? また、参加しようという魅力はどういったところにあるとお考えですか?

    会員数は75人ほどで、60~70代の女性が中心です。地元の方が多いですね。それまで文士村のことを知らなかったので、地元の文化や文学について学んでみたいという方が多いです。また、参加することでお友達ができたと喜ばれるケースが多いですね。会員募集は、当初は区の掲示板や区報などで活発に行いましたが、そういったメディアは掲載希望者が多いので、今では年に数回程度お知らせを出せている程度です。後は会員の紹介で入会される方も多いですね。

    ——では、馬込文士村継承会を設立された経緯をお教えください。

    そもそもは、事務局長の矢野マサ子さんが当地に嫁がれて馬込文士村について知ったものの、地域ではその記憶が風化しそうであったことに問題意識を持ったことが始まりでした。矢野さんが近所の我々に声をかけ、賛同者で会を立ち上げることにしたのです。
    文士村は人間関係が結構濃密でエネルギーを感じさせるものでした。孤立化しがちな現代社会にあって、そんなコミュニティ意識を呼び起こして地域が一体化すれば素晴らしいのではないか、という期待を持てたことも活動の推進力になりましたね。

    努力を認めていただき、活動資金を助成していただけました。

    ——井上さんがこれまで活動を続けられて、どんな手応えを感じていますか?

    よく13年も続けて来られた、という感想ですね(笑)。助成金が得られるまでは、毎回10人ぐらいの中心メンバーが資料などを手づくりで用意していましたので、文化講演会などは集客数を限定して行わざるを得ませんでした。それでも、馬込文士村を風化させてなるものかという問題意識と意地で(笑)、何とか続けてきました。そんな努力を認めていただいて、大田区から活動資金を助成していただけたので、立派な展示パネルや冊子をつくることができたわけです。また、参加している会員には総じて喜んでいただけているので、やってよかったと思っています。

    ——>今後の抱負についてお聞かせください。

    このペースで従来どおりの活動を継続させていくことが基本です。課題としては、活動内容を伝えて会員、特に若い人を呼び込む手段をどう確保していくかが挙げられると思います。また、活動内容としては、従来はどちらかというと”広く浅く”だったところ、「特定の文士について深く知りたい」という会員のニーズもあり、それにどう応えていくかも考えていかなければなりません。さらに、尾崎士郎記念館以外は馬込文士村について目に見える形で継承していく施設がないので、文士村の魅力を余すところなく伝える拠点となる場所を整備すべく、大田区に働きかけていきたいと考えています。

    続いて、会員の方に、活動に参加した経緯と内容、手応えについてうかがいました。

    矢野マサ子(やの・まさこ)さん

    この地に嫁いで馬込文士村のことを知り、私でも知っている何人もの大作家の家があったことに興味を持ちました。けれども、近所の方々は特に関心がない人が多く、もったいないと感じていたのです。そして、何とかしないと文士村の記憶は風化してしまうのではないかと思いました。それで、ご近所の井上さん達に声をかけたところ、賛同していただけて活動を始めることになったのです。
    地域の子供たちに文士村をもっと知ってもらって、この地域を誇りに思ってもらいたいと思います。それがこの地域の活性化につながることになると信じています。

    矢野聖一(やの・せいいち)さん

    妻が当会の創立メンバーに加わったのですが、その手伝いをする形でかかわり始め、創立の半年後に正式に会員になりました。ここで生まれ育った私は、幼少期に文士村を構成していた芸術家たちを見知っていたので、馬込文士村という存在は特に意識せず過ごしてきたのです。しかし、実際に調べてみると、そこで日々繰り広げられていた人間模様が実に魅力的に感じてのめり込んでいきました。私は大学でドイツ文学を専攻したせいか、文士村の作家たちの文学的なつながりもとても興味深いものがあります。そうした興味を満たしていけるとともに、幹部として会の活動を通じて人に喜んでもらえると二重の充実感が味わえます。生き甲斐の一つになっていますね。

    阿部輝子(あべ・てるこ)さん

    会員である友達に誘われて、2007年に入会しました。馬込文士村継承会については、区のお知らせなどで何となく知っており、どんなことをやっているのか興味があったのです。参加するたびに新しい知識を得ることができて、とても勉強になっています。次々に興味の対象が現れる感じがしていて、それがまた楽しいですね。自分一人ではとてもこれほどの勉強はできなかったと思います。

    ■プロフィール

    NPO法人 馬込文士村継承会
    創立/2000年3月(NPO法人設立/2004年6月)
    代表者/理事長 井上幹彦
    活動内容/文化講演会および馬込文士村や他地域文士村の散策会の企画運営、文化遺産の保存活動ほか

    (版画 東京近郊の部「大森」:石井鶴三(大正8年))

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