このページの本文へ移動
  • サイトマップ
  • 都庁総合トップ
    • 大きいサイズ
    • 標準のサイズ
    • 小さいサイズ

    東京ホームタウンSTORY

    2025年の東京をつくる 東京ホームタウンSTORY

    東京ホームタウン大学講義録

    会社から地域へ “私のライフシフト”
    2018年度総括イベント「東京ホームタウン大学2019」 3限目 総括講義レポート

    3限目 総括講義
    内多 勝康 氏(聞き手)、飯島 勝矢 氏(解説者)、地域活動者3名
    2019年5月11日

    開催日:2019年 2月 23日(土)<br>会 場:津田塾大学 白金キャンパス(東京・千駄ヶ谷)<br>登壇者:伊藤 文子氏(認定NPO法人 プラチナ美容塾 理事長/港区)、添田 善雄 氏(NPO法人 足立ほがらかネットワーク 会長/足立区)、前田 明子 氏(歌声広場よりみち 代表/江東区)<br>聞き手:内多 勝康 氏(国立成育医療研究センター 「もみじの家」ハウスマネージャー/社会福祉士)<br>解説者:飯島 勝矢 氏(東京大学高齢社会総合研究機構教授/医師/医学博士)<br>⇒3限目 総括講義 全編動画はこちら<br><br>●1限目 総括講義レポートはこちら<br>●2限目 テーマ別分科会レポートはこちら<br>(リンク先の分科会一覧よりご覧ください)

     

    ページ:1 / 4

    「2025年に向けた、東京の宿題とは?」を掲げて開催した今回の東京ホームタウン大学。3限目総括講義は「ライフシフト」をテーマに、地域の中での私たち一人ひとりの生き方について考える時間となりました。「人生100年時代」といわれる今、仕事一辺倒の生活から、地域や社会、人とのつながりを豊かにするような生き方・働き方への「ライフシフト」が提唱されています。元NHKアナウンサーで、現在は医療型短期入所施設「もみじの家」のハウスマネージャーを務める内多勝康氏を聞き手に迎え、飯島勝矢氏とともに、もとは会社勤めをしながら、今は都内で地域活動を行う方々にライフシフト実践の経験談を伺いながら、地域との関わり方のヒントを探りました。


    内多勝康氏のビフォア&アフター
    アナウンサーから福祉分野への転職

    内多勝康氏(以下、内多氏):
    皆さん、こんにちは。現在、世田谷区にある国立成育医療研究センターの「もみじの家」という施設でハウスマネージャーをしております、内多と申します。

    この3限目は「ライフシフト」というテーマですが、じつは私も、30年間勤めたNHKを退職しまして、まったく違う畑で仕事を始めることになりました。本当に思いがけない転職で、自分が一番びっくりしてるような状態なんですが、私がどのような経緯で転職に至ったのか、ちょっと枕でお話をさせていただいた後に、実際に地域で活動している皆さんのお話に耳を傾けたいと思います。

    まず、私のビフォア(以前の仕事)&アフター(現在の仕事)からご紹介します。私は3年前までは、NHKのアナウンサーをしておりました。これは6年前の写真ですね。「クローズアップ現代」という番組がございました。当時のメインキャスターが海外取材などでスタジオを空けることがあります。そのときに、別のアナウンサーが代役を務めるということになっていて、私が担当だったんですね。

    今、私が携わっている「もみじの家」は主に医療的なケアが必要な子どもたちのための施設なのですが、その医療的ケアが必要な子どもたちをテーマにした番組が、実はちょうどこのとき、一つできたんです。私も現場に取材に行ったり、国立成育医療研究センターでもロケをして、新生児集中治療室(NICU)の現場の撮影にも足を運びました。このときは当然NHKを辞める気もなかったですし、まさか成育医療研究センターが、のちの私の職場になるなんて思いもしなかった。ただ、その取材などを一生懸命やった結果として、医療的ケア児のことを自分自身が問題意識として強く思ったのも確かです。

    そのときの取材でつながった成育医療研究センターの医師から、その後、「もみじの家」という施設ができるからハウスマネージャーをやらないか、というお声がかかるんですね。この誘いにはかなり私も迷いました。このまま、超安定したアナウンサー人生を歩むのか、あるいはもうひとつチャレンジするのか。でも、自分がテーマとして問題意識を強く持ったその現場に招いていただけるチャンスというのは、おそらくもうこれが最初で最後じゃないかと。そのとき、私は52歳になっていましたので、これを断ったら一生後悔して暮らすことになるだろう、あのとき誘いに乗っていたらどうだったろうなと思いながら暮らすのは、やっぱりいやだなと思ったんですね。

    家族に反対されたら断ろうと思ったんですが、相談したら「まあ、いいんじゃない」みたいな感じで、ああ、これはもう行けってことかなと思いまして。今は、この写真のユニフォームのポロシャツ姿、こんな気軽な格好で子どもたちを迎えています。今日はいい機会なので、皆さんに医療的ケア児のことをぜひ覚えていただきたいと思っています。

    人生第二の職場は
    医療的ケア児と家族の居場所

    内多氏:
    医療が進歩して、かつて亡くなっていたお子さんも、日本は今、世界のトップクラスで救命できる国なんですね。生まれて4週未満に亡くなる子どもの割合「新生児死亡率」が、世界で一番低いんです。1,000人生まれて、日本で亡くなる子は0.9人です。これは本当に世界に誇れる日本の小児医療なんですね。ただ一方で、「もみじの家」を利用する子どもたちというのは、自宅でさまざまな医療的ケアが必要です。

    例えば、気管にたまった痰をペッと吐き出す力がないから、痰をときどき細いチューブでチュチュチュと吸い出す「痰の吸引」が必要な子どもや、人工呼吸器を装着し機械の力で空気の出し入れをしている子どももいます。これらは医療的なケアです。

    この子たちはこうしたケアをすれば、おうちで家族と一緒に暮らせるんですね。入院が必要な子がNICUに入れるようにするためにも、比較的症状が安定した子どもからおうちに帰っていく、そういうサイクルを作っていく。

    ただ、おうちに帰ると、たちまち家族による医療的ケアが始まります。病院では医師や看護師がしていたことが、24時間365日、ずっと続くんです。これはなかなかしんどい。特にお母さんは夜眠れない。お子さんたちはなかなか幼稚園や保育園にも受け入れてもらえないので、おうちにずっといて、外出もままならないというような生活が始まります。こういったご家族に、数日間だけれども「もみじの家」に来ていただくのです。お子さんのケアは施設のスタッフが担い、ご家族は安心した数日間を過ごしていただくために「もみじの家」ができ、私は、今そのハウスマネージャーになっているということです。

    私はこのセカンドキャリアとしてはまだ3年という短い期間ですので、あまり大きなことを言う立場にはございませんが、今日は聞き手として、これからご登壇いただく3人の方にいろいろお話を伺いたいと思っています。では、本日のゲストの皆さん、どうぞ壇上にお上がりください。

    ライフシフト 伊藤文子さんの場合
    化粧品会社勤務から美容ボランティア活動へ

    内多氏:
    まず3人の方それぞれの活動について、私のようにビフォア(以前の仕事)&アフター(現在の地域活動)についても交えながら、ご紹介いただきたいと思います。それでは、伊藤さんからお願いいたします。

    伊藤文子氏(以下、伊藤氏):
    「NPO法人プラチナ美容塾」の代表をしている伊藤と申します。ビフォアですが、私は以前、化粧品会社に勤めていました。やりたいことを全部やらせてくれる会社でした。まず入社すぐに美容指導のテキストを作りました。海外ロケもあったり、モデルのオーディションもさせてくれました。企画、ポスターの撮影、自分ひとりではできないことを、いろいろやるのが会社時代はおもしろくて、これは管理職になる前までがおもしろかったんです(笑)。なってしまったら、もうあとは首を絞める一方で、好きなことをだいぶ我慢しましたが、おかげさまで本当にやりたいこと、好きなことがやれた会社時代のおかげで、今があると私は思っています。

    そして今、私は美容ボランティア活動をしているのですが、こちらを見てください。高齢者施設に行くと、86歳のおじいちゃまがこんなに喜んでくださるんです。なんでこうした活動を始めたかって言うと、私は本当はもう一切、美容も化粧品もやめようと思ってました。でもその仕事を辞めたあと、いろいろ遊び、学び…、これが、会社員時代はやれてなかったことだったんですね。ですから港区の消費者推進委員、保健福祉委員、それから1週間に1回は大学で福祉の勉強、とにかくなんでもかんでも私は食いついて、全部、首を突っ込んだわけです。

    そうするうちに、私、ひとつ心に決めました。シルバーって言葉、私きらいなんです。私自身が使うなら、「プラチナ」で行くって。プラチナヘアの方がいらっしゃいますよね。これをシルバーって言ったら失礼じゃないですか、と私は思います。プラチナのように輝く人生へ。これこそ一番私は今日ここでPRをしたいことの一つなんです。

    笑顔をたくさん見られる喜び、
    仲間と共有できる喜びに魅せられて

    伊藤氏:
    ではなぜ、ボランティア活動だったのかというと、私の母が、60歳で亡くなったんです。そのとき私は実家に戻れなくて、なんて親不孝なことをしてしまったんだと思いました。その悔やみですね。それが先ほどのような高齢者施設に行くと、入所の皆さんがニコニコ笑って、涙を流して喜んでくださった。これがきっかけでボランティアを始めて、さらにこの感動、喜びを仲間に伝えたくて、仲間を呼び集めて、NPOをスタートさせたんです。そしてただ行くだけではなくて、高齢になった方の枝のように細くなった手に触れる技術、話す技術、そうしたことを事前に学んだうえで訪問していただきます。

    こういう素敵シニアをどう作るか。これはもう美容の技術に任せてください。美肌からメイクアップ、アロマ、すべてのことをやります。実際にボランティアとして参加する方々は、何度も勉強してるんですね。この写真はたまたまスキンケアの勉強で、そこにはおじさまもいらっしゃいます。とにかく肌をきれいにしましょう、べったりした肌とか口臭、体臭やめましょうということで、まず美容講習、それにマナーもやります。写真に写っているような70歳ぐらいの団塊世代の方が、笑顔になる。高齢者施設でもニコニコ笑顔があふれているんです。私たちはそういう笑顔が見たくて活動しています。行って楽しんでもらって、そして私たちが仲間で一緒になって勉強していく楽しみが、今の私を支えております。

    東京ホームタウンプロジェクトの支援先、参加者、協力団体などをご紹介します。

    ページトップへ戻る
    Copyright © 2015-2024 Bureau of Social Welfare, Tokyo Metropolitan Government. All Rights Reserved.