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    東京ホームタウンSTORY

    2025年の東京をつくる 東京ホームタウンSTORY

    東京ホームタウン大学講義録

    地域づくりの将来像を共有するために〜目標を言語化する方法
    「東京ホームタウン大学2023」
    基調講義レポート

    基調講義
    東京都立大学 室田信一氏
    2023年3月29日

    開催日:2023年3月4日(土)
    会場:オンライン
    登壇者:室田 信一氏(東京都立大学 人文社会学部人間社会学科 准教授)
    動画:YouTubeにリンク

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    分科会レポートはこちら

     

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    「東京ホームタウン大学2023」の基調講義は、東京都立大学で、地域福祉の実践研究やコミュニティ・オーガナイジングをご専門とされている室田信一氏より、地域づくりへのそれぞれの思いを言葉にし、価値観を共有して「わたしたち」の将来像を描いていくための考え方をご提示いただきました。

    みなさんこんにちは。東京都立大学の室田 信一と申します。今から「地域づくりの将来像を共有するために」というお話をさせていただきます。

    近年、地域づくりが必要だと、よく言われてきています。今日ご参加のみなさんは、地域とつながることを求めていますか? イベント申込者への事前アンケートでは、5年後、10年後、地域のつながりは弱くなるのではないかというご意見が半分近くありました。みなさん自身はどうでしょうか。

    ▶イベント申込者への事前アンケート結果

    少し、私の話をさせていただきます。私は東京都の練馬区で育ちました。幼い頃に地域のつながりを感じていたかというと、実際はほとんど感じていなかったですね。子ども会のようなものもなかったですし、あまり自治会活動が盛んでもなかったです。何か、自分が孤立したり、「助けて」と言ったり、学校でうまくいかないことがあったり、そういったときに地域のつながりや、地域がその相談にのってくれるという感覚は、あまりありませんでした。頼りになる大人がいるという感覚も、あまりありませんでした。

    しかし、私が高校生の時、野茂英雄投手というアメリカメジャーリーグに挑戦した選手がいました。その時に印象的だったのは、その挑戦に際して大バッシングを受けたことです。日本中の、特にメディアから「何を自分勝手に無謀な挑戦をするんだ!」とずいぶん批判を受けていました。ところが一旦メジャーに行って活躍すると、手のひらを返したように野茂フィーバーが起こって、一気にヒーローになっていったわけです。
    いまだに目に焼き付いているのは、野茂選手がアメリカの球場でノーヒットノーランをした時、球場全体が立ち上がって拍手で称賛していた光景です。それを見たときに、こんなに人って一体化できるんだ、何かその、そこで「培われる力」にとても魅力を感じましたね。自分もアメリカに行ったらそういったものの一部になることができるのではないか、そのようなことを思って私は、高校卒業後に一人でアメリカに留学しました。

    野球がうまかったわけではないので、野茂投手のように野球で成功することはできなかったんですけれども、アメリカの地域活動に出会うことができました。そこで地域の人たちと一緒に活動して、まさに球場で観客が一体感を持っていたように、地域住民の人たちが一体感を持つ様子を見ることができたのです。そこで「地域活動って可能性があるな」と感じたことから私は、こうして地域の取り組みについて研究したり教育したりしています。

    そういう意味では、昔は地域とつながることを求めていなかったですが、その時から、地域とつながることは自分にとってとてもプラスになると考えるようになりました。

    さて、おそらく今回参加しているみなさんは、私と同じように地域でつながることを求めている方が多いと思うのですが、一方、みなさんのご近所さんに目を移すとどうでしょう? 最近だと、一人暮らしのアパートなどで、表札を出さずに暮らすことは、当たり前になってきているかなと思います。特に東京ですと、そのような様子がよく見られると思うのですが、それはやはり、地域とつながることをあまりこう求めていないことの象徴のように感じます。

    人とつながることから生まれる「安全と自由」の選択

    社会学者のバウマンさんという方がコミュニティに関する本を出しています。その本の副題が「安全と自由の戦場」となっているのです。

    「安全と自由」とは、どういうことか。コミュニティというその言葉自体は温かい響きを持っていて、そこに属することで安全な環境を与えてくれる印象を持つかもしれません。一方で、コミュニティの一員になることで、連帯行動を求められ、個人の自由が阻害されるという側面もあると思います。

    このバウマンさんは、コミュニティというのは、実は安全を提供してくれる要素もあれば個人の自由を阻害する要素もあり、どちらも得ることは難しい。これらを「トレードオフの関係」といいます。一つを得ることによってもう片方を失う、そういう関係の中にコミュニティは成り立っていると話しています。

    もう少し具体的に話しましょう。例えば新型コロナウイルスが蔓延した時に、自粛警察といわれる概念が出てきたと思います。「外を勝手に出歩くな!」と、ある意味、自由を制限するような報道や言葉が出てきました。つまりそれは、人が出歩かない方が安全を確保することができる、患者が増えないという意味で安全を提供するわけです。一方でそれは、好きな時に出かけたり買い物ができるという自由を阻害することになります。

    このように安全と自由は両端にあって、どちらか片方を得ることによって、もう片方を失うという関係性にあるわけです。

    次の例も同じように、「近隣はみんな、顔見知りだ」という人は、移動しないでずっと同じ仲間と生活している方が安心安全ですよね。一方で、移住した人が自由にいろいろなところに住める、そういう社会の方が、自由度は高いです。でもそうすると隣に住んでいる人が誰なのかが分からないような状況になっていて安全が低下する。これもやはり片方を得るともう片方は手に入りません。

    最後に、困ったときにご近所さんが助けてくれるようなコミュニティの方が安全ですけれども、それはどういうことかというと、みんなで何か一緒にしなくてはいけないので、自分のペースで生活することが難しくなります。例えば、週末は地域の清掃活動に必ず参加しましょうという場合には、一緒に活動した方が地域の助け合いの関係性は強くなりますが、週末に家族で出かけることはできない。

    そういう意味で、自由と安全は、どちらも得ることが難しいのです。みなさんの地域やご近所さんを考えたときに、どういう志向性が強いでしょうか。より安全を求めていると思いますか? それとも自由を求めていると思いますか?

    人とつながることによる効果

    少し考えていきたいと思います。最近は、一人ぼっちを意味する「ぼっち社会」みたいな言葉が使われるようになってきています。

    それを考える上で、政治学者のR・パットナムさんという方が、「孤独なボウリング」という本を書いています。これは、人が地域の中で一緒に何かに取り組むことが少なくなってきていることを説明した本です。これはアメリカを舞台に書かれた本ですが、アメリカでは戦後1950年代、ボウリングのブームがあって、チームみんなで同じユニフォームを着てボウリングをするという文化が盛んだったのです。

    実はアメリカのボウリング競技人口は1950年代から1990年代までほとんど変わらないそうですが、1990年代ごろになると、お揃いのユニフォームを着て一緒にボウリングをする人たちが少なくなり、一人でボウリングを遊ぶ人が増えたそうです。パットナムさんは、「アメリカ社会が一人でボウリングをする社会に変わってきている」と話していました。つまり人と人のつながりが希薄になって、一緒に何かをする文化が少なくなってきています。

    日本の場合、孤独なカラオケであり、孤独な焼肉だという話をしています。最近では一人カラオケが増えていますね。カラオケは、みんなで行って、他の人が歌っているときは手拍子などをしながら場を楽しむ文化だったと思いますが、一人でカラオケボックスに行って、一人で歌の練習をするという文化が増えてきています。また孤独の焼肉というのは、一人焼肉店が増えてきていますよね。焼肉も私なんかからすると、声をかけてみんなで鉄板を囲んでジュージュー焼くことの方が楽しい文化だと思いますが、最近は、横に壁があって自分ひとりで座る席をあてがわれて、人から見られないように好きな肉を好きなだけ食べる、こういう一人焼肉の文化が増えてきたりしています。

    そう考えると、日本の中でも一人で何かをするということが、どんどん増えてきていますね。もう少し別の例ですと、「クリぼっち」は聞いたことはあるでしょうか。一人でクリスマスを過ごすことを言うそうです。

    これはハンバーガーチェーン店のプレスリリースから出したのですが、このお店は、一人でクリスマスを過ごすことをむしろ商機と捉え、一人でクリスマスを過ごすのに最適なチキンパックが出ていますよ、という宣伝をしているわけです。一人で何かをすることをビジネス的にも捉えていこうというムードすら、日本の中にあるわけですね。

    さらには、「孤独のグルメ」という漫画やドラマの中で、一人で何かを楽しむことを描かれています。「ソロ活女子のすすめ」というエッセイ本は、テレビ番組にもなっており、いろいろな趣味の活動をするときに一人で楽しむ方法をおすすめしています。このように、人が一人で何かに取り組むことが、どんどん当たり前の社会になってきています。

    これは、さきほど話した、自由か安全かという中で、自由を求める人がどんどん増えてきていることの象徴ではないかと思います。

    では、私たちはなぜ、つながりをあえて作ろうと頑張っているのか? これだけもう自由を求めて一人で活動することを求める人が多いのであれば、あえてそこに抗う必要ないのではないか。これに関連して、多くの研究結果があります。「つながることは、いろいろな意味で社会的にプラスの効果がある」という結果です。

    例えば、人とつながりがある人とつながりがない人を比較したときに、つながりがある人の方がより長生きする、健康寿命が長いともいわれています。また、人とつながっている方は、介護が必要になる状態になりにくいと言われています。地域のつながりがある方が、防犯防災に効果があるとも言われています。それはそうですよね、ご近所さんと顔見知りである方が、不審者が地域に入ってきたときにすぐに気づいたり目を光らせたりします。そう考えると、先ほど話したように、表札に名前を書かずにマンションやアパートに住むということは、オートロックですとそこで安全を確保するんでしょうけれど、知らない人がマンションの中をうろついていたときに、この人は住民なのかどうなのかはわかりません。地域住民がつながっていることの効果は、防犯にはもちろん防災の側面でも効果があります。

    他にも、よりつながっている地域の方が、子どもの学力向上が進むという統計結果もありますし、人がつながっている方が子どもの自己肯定感が高くなるといった調査結果もあります。それは、地域でつながりのある子どもたちは親以外の大人から褒めてもらう機会が増える。これによって自己肯定感が高まってくると言われています。言うまでもなく、孤立を防止することや、経済効果なども言われています。人と人がつながっている方が情報の伝達や信頼関係があり、より商取引がやりやすくなって、経済が活性化される、そのような研究もあります。

    人がつながっている方が、公的支出を抑制できるという考え方もあるかもしれません。制度で支援する必要がある人に対して、地域で支え合う、それによって公的な支出が抑制されるという考え方です。つながることはさまざまな良い効果があります。

    では、私たちは地域活動や地域づくりを、健康に良いからとか、教育にいいからとか、孤立を防止するからとか、公的支出を抑制できるから活動するのでしょうか?

    >>次ページ:共に行動をとるための「戦略」と「物語」

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