東京ホームタウンSTORY
東京ホームタウン大学講義録
2020年代、超高齢社会を展望する
2019年度総括イベント「東京ホームタウン大学2020」
1限目 基調講義レポート
田中 滋氏(埼玉県立大学理事長・慶應義塾大学名誉教授)
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東京ームタウンプロジェクトが始まってから5年目を迎えた2019年度に、これまでの活動を総括すべく開催した「東京ホームタウン大学2020」。1限目の基調講義では、いよいよ本格的な超高齢社会を迎える日本において予測されるさらなる課題、その課題を乗り越えていくために求められる社会の仕組みについて、日本における地域包括ケアシステムの第一人者の視点から田中滋氏にお話をいただきました。
※この講義は東京2020オリンピック・パラリンピックの延期が発表される前に実施されたものです。本記事掲載にあたり、内容を一部編集しています。
こんにちは、田中滋です。私は東京生まれ東京育ちですが、昨年から埼玉県立大学の理事長を務めています。埼玉も、東京と同じ“武蔵の国”ですね。
さて、日本では2020年から2042年までのあと22年間、超高齢社会に向かう時期が続きます。東京近辺だけで考えるともう少し後になりますが、日本全体では2042年にだいたいピークに達します。今日は、皆さんと一緒にこの時期がもたらす問題について考えていきます。
若い方はご存じないかもしれませんが、1964年に東京オリンピックが開かれました。私は高校1年生でした。2020年と1964年、この間に起きた人口構造の大きな変化は「高齢者増」です。ただし、元気老人の増加を見ると、「壮年」期の延伸が現実的な描写と言えます。
ここから歴史をさかのぼりながらお話しをしますが、「高齢者」は昔からいたわけではありません。
驚くほど急速だった「死亡率の低下」と「高齢者の長寿化」
戦後すぐに連載が始まった「サザエさん」。サザエさんのお父さんは髪の毛1本ですが54才です。あと1年で定年、5年くらいすると亡くなる想定かもしれません。それが1948年ごろの定年前の男性の姿です。
こうした姿が変わっていった根本的理由は、世界的に見ると、19世紀の後半、近代医学ができた進歩がきっかけです。近代医学の最初の貢献は、感染症病原菌の発見でした。病原菌を見つけると対応策を検討できる可能性が高まる。それまでは、伝染病の原因は神の怒りか悪魔の仕業か敵国が流した毒等と思われていました。ネズミや蚊が細菌を媒介すると分かったのは今からほんの150年前です。
次に、病原菌が特定されて治療法が見つかるようになりました。画期的だったのはペニシリンでしょう。1920年代、ちょうど100年たちました。日本でペニシリンが一般に使われるようになったのは戦後になってからです。
それまでは、病気になれば、死ぬか生き延びるかは体力、つまりは栄養状態の影響が大きかったにしても、治療法のない、致死率の高い病気ではみな苦しみました。
治療薬ができると、今度は買えるか買えないかが命の差になります。この格差が生じたのは20世紀の後半、我々世代が生まれてからです。薬が買えない家庭の子どもは日本脳炎や盲腸炎や腸チフス等で死んでしまう確率が高かった。しかしこの状態では社会不安の元になるとの理解が進み、経済的先進国(アメリカ合衆国を除いて)ではどこでも、社会保障制度によって多くの住民が医療が受けられるようになりました。治療費をみんなで支払う保険の仕組みや、公費の仕組みがつくられていきます。受療費用の保障によって医療提供システムは進化し、まず子どもの死亡率が低下し、続いて結核が克服され、若者の死亡率も低下しました。
ちなみに子どもの死亡率は、今から100年前と比べるとどのくらいになっていると思われますか? 1/50です。年間死亡率がたった100年のうちに1/50。社会保障制度の普及にはそのくらい大きな効果がありました。
そして次に、高齢者の長寿化が始まりました。今日本の長寿化が進んでいる理由は、子どもの死亡率低下ではありません。高齢者が長生きになっているからです。今から60年前と比べて、60歳の女性の死亡率は1/5になっています。その結果、1965年に日本中でたった400万人しかいなかった65~74歳が、今年は1800万人になりました。4.5倍。2つのオリンピックの間で急速に高齢者の長寿化が進んだのです。
昔は60歳を過ぎると、そろそろお迎えが、などと言っていたようですが、今多くの人にとってお迎えが来る時期は大体100歳くらいになります。覚えておいてくださいね。
高齢者が増え、年齢階層にもよりますが、その8割は元気老人を含む自立者、他方、確率的に2割は要介護者、うち1/4は要支援者です。要介護認定者は今ほぼ700万人います。元気老人が増える一方、要介護、あるいは虚弱な方も増える。要介護者を放置できないとの社会的合意に基づき、2000年に「介護保険制度」がスタートしました。
さらに、介護保険制度が出来た効果もあり、75歳以降でも長寿化が進んでいます。前回の東京オリンピックの時には75~84歳人口は日本中で160万人程度でした。それが今年では1200万人。7.5倍です。このくらい凄い増え方をしています。
以上の急速な高齢化を踏まえ、今日の主題である2020年から20年間の住民像はどういうものかを考えていきます。
医療、介護、そして「生活」ニーズへ
超高齢者とは85歳以上人口をいいます。85歳を過ぎると、今までの自分らしい生活が出来にくくなります。
高齢者でも65歳や70歳のイメージ像は、要介護にならなければ多くは元気老人です。75歳までは、元気な人ならもっと後まで、自分らしい生活をおくりやすい。散歩をしたり、東京の人は歌舞伎を見に行ったりするかもしれませんね。
ところが85歳を過ぎてくると、要介護ではなくても「生活支援」へのニーズが高まります。
重い洗濯物が干せなくなったり、歩くのがおっくうになったりした人は、地域の支えがないと買い物ができない。車の免許証も返納しなければならなくなり、通院も困難になる。ますます進化するスマホ、電子レンジや券売機も使えなくなってきます。
つまり、摂食や排せつ、入浴は自分でできるにしても、それ以外の重い家事や外出が不自由になり始める。もちろん最後まで元気な人もいますけれども、これが85歳以上の平均的なイメージ像です。
もう一つ。単身者が増えます。85までに老夫婦のどらか、8割方は男が先に亡くなります。家族も高齢者になり、70代なら家族は40~50代ですが、100歳になったら子どもも75歳くらい。子どもも高齢者です。
前世紀までの社会課題は、日本脳炎や盲腸炎等、「医療」のニーズを満たし、命を救うシステムづくりが主でした。先進国ではそうした努力が成功し、当時の課題の多くを克服できました。
こうした医療の普及の成果により、1980年ごろから「介護」のニーズが急増していきます。これに対し、2020年までには経済的先進国では大体のところ、十分ではないにせよ、何等かの介護サービスを受けられるようになりました。
すると今度は「日常生活支援」という新しいニーズに直面します。超高齢者には、要介護者と、数少ない元気老人との間に、生活が不自由な人が増える。この方々をどうするかが今日の主題です。日本では要介護者に対する専門的サービスについては世界の中では比較的、整っている方です。しかし、それとは違う「日常生活支援」へのニーズがあるから「東京ホームタウンプロジェクト」そして「東京ホームタウン大学」の意味があります。
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