2025年の東京をつくる 東京ホームタウンSTORY

東京ホームタウン大学講義録

2020年代、超高齢社会を展望する
2019年度総括イベント「東京ホームタウン大学2020」
1限目 基調講義レポート

1限目 基調講義
田中 滋氏(埼玉県立大学理事長・慶應義塾大学名誉教授)
2020年5月26日

開催日:2020年 2月 20日(木)<br>会 場:東京大学 伊藤国際学術研究センター 伊藤謝恩ホール<br>登壇者:田中 滋氏(埼玉県立大学理事長・慶應義塾大学名誉教授)<br><br>●2・3限目 テーマ別分科会レポートはこちら<br>●4限目 トークセッションレポートはこちら

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真の「リハビリテーション」とは何か

急性期入院中に、今では手術直後でもリハビリを行ようになりました。痛くてもがんばって歩きます。でもあとの時間はベッドで寝ているかもしれない。それでは必ずしも十分なリハビリになっていないと指摘する専門家もおられます。リハビリテーションは、何かしようとする意欲を支援しないと続かない。短い時間だけリハビリルームあるいはベットサイドで、歩いたりしても、本当の回復につながらない。

退院時に急性期病院側のリハビリと在宅側のリハビリの間に切れ目がある場合がしばしば見られます。退院直後に、例えば1週間~2週間、在宅側のリハビリ、訪問リハビリや通所リハビリが用意できないギャップがあると、一挙に体力が低下します。85歳の患者さんは2週間3週間寝ていると立てなくなる。歩いて入院したのに立てなくなる。入院して病気は治ったけれど、認知機能が著しく低下してしまう。慢性期側の医師によって注意喚起されています。

残念ながら日本の急性期医療では、もう一つ、拘束、患者さんを縛るケースがある、と同じく慢性期や介護の側が指摘する声も聞きます。リスクマネジメントが必須なので、ベッドから落ちないように、転倒しないように、など安全が重視されるためです。

もちろん、急性期医療のおかげで命が救われる人はたくさんおられます。心臓発作や脳卒中は急性期病院しか救えませんから、急性期病院の貢献は計り知れないけれども。その人が生活者に戻れるかどうか。繰り返し言いますが「生活」が上位です。それを支えるために介護があり、医療がある。急速な高齢化ゆえやむを得ないとはいえ、総合的視点はまだ発達途上なので、2025年までには包括的な体制構築が不可欠です。

 

「看取り」と「地域」

地域包括ケアシステムには色々な要素が含まれます。究極は、尊厳ある「看取り」に他なりません。先ほど超高齢者が増える話をしましたが、超高齢者が増えていく時期に少し遅れて、たくさんの人が亡くなる時期が来ます。日本はほんの30年前まで、年間70万人死亡する時代が40年続きました。今130万人くらいまで増え、団塊の世代の多くが人生を卒業する頃には160万人~170万人もの年間死亡者数に達します。

平均死亡年齢が90歳を超えてくると、亡くなる人の半分には急性期医療は必要がなくなります。癌末期、アルツハイマー末期、老衰など、点滴しても細胞が水分を受け付けなくなったら、あとは尊厳を持って枯れるような卒業を見送る。戦う医療が不可欠な患者はもちろんいつもおられる。しかし、戦う医療ではない看取りの方法については、私たち利用者も理解しなくてはならない。人生計画により、こういう時だったらこういう風にしてほしいと。

中重度要介護者のケアが地域包括ケアシステムのコアと言えます。ここは基本的に専門職の世界です。専門職は、予後予測、この人が今後どういった状態になるかの予測を共有します。看護師も介護福祉士もリハ療法士も薬剤師も栄養士も、この人の次の一月、次の1週間の状態像、そしてケアプランの共有がマストです。

こういった情報共有や伝達の仕組みはICTを使い、標準化し、組織も標準化していくでしょう。一方、その人が普段暮らしている地域でどう生きるか、それは人によって違います。それが人生です。

何がいいかは生活圏域、居住地域ごとに違う。地域ごとに特性を活かしていく。「地域づくり」とも呼ばれますが、ちょっとかっこよく言うと「地域をデザインしていく」。地域の景観と暮らし方に関わる。ここはみなさんのような方がつくっていきます。専門職と、みなさんと、両方相まって初めて、超高齢社会を乗り切れます。

 

「居場所」に役割はあるか

最近よくこの「居場所」なる言葉が使われます。場所の数ではなく機能が重要です。その場所で何かが発展しなければ意味はありません。街の中に居場所ができて、座ってるとお茶くらいは頂ける。でも黙って座ってるだけならつまらなくて、次の週には行かないでしょう。

その場所で何ができるか。世代を超えた出会いがあるかどうか、自分がささやかでも地域貢献に加われるかどうか。自分は何かできるかが重要です。公園の花の世話も地域貢献。小学生が帰ってくる夕方の時間に年寄りが何人か一緒に散歩するだけでも、怪しい人が寄ってこなくなる効果があります。子どもたちが安心して遊べるようになります。それも地域貢献です。

プロボノのように自分の持っている専門性を活かす地域貢献もいいですね。「自分は経理の専門家だったから、地域のこども食堂の会計は任せてください」、「市役所との交渉は慣れています」とか。役割はなんでもいいのです。しかし、そういう役割を持てる、感じられる場にならないと、「居場所」ではありません。

例えば、グループホームや地域密着型の特養、サービス高齢者住宅の1階等が居場所になっていて、介護相談にも乗れる、体操もできる仕掛けも役だつでしょう。いろいろな主体の力を使ってつくっていけます。

 

住民みんなが、生活支援のコーディネーター

地域包括ケアの目標はSeamless、Continuous、Comprehensiveと表されます。Seamlessは、切れ目がないという意味です。施設や病院と在宅の間には切れ目が生ずる可能性があります。退院、あるいは入院した時には情報が共有されていなければならない、ここを連続的にする工夫こそ専門職の仕事です。

Continuousは連続的を意味します。24時間365日の安心感があるかどうか。施設の強みはここです。しかし在宅でも安心感はつくれます。それに適した在宅サービスの提供形態もあり、センサーや情報システム等の技術も発達してきました。

Comprehensiveは包括的という意味です。一つは、医療・介護・福祉の多職種協働が相当します。もう一つは地域における生活をプランする力です。

地域で楽しく暮らしていく生活をするために、自分に何ができるか。みなが強制ではなく、自発的に助け合い、互いに貢献するあり方が大切です。地域包括ケアシステムは、数が多く、財源が大きい高齢者ケアから始まりましたが、20年経ってみると、赤ちゃんも、障害者も、子どもも、外国籍の方も、地域が暮らしやすければ、誰もが住みやすいと視野が広がってきました。

多様性とは、「みんな違ってみんないい」と、異なる人を排除しない考え方です。なお、東京は特にそうですが、住民票を持つ人だけが住民ではない。学生や通勤してくる人たちも広義の住民と考えてよい。

そして何より、東京の街の財産は、定年によって通勤から解放された高齢者ではないでしょいうか。今まで都心のオフィスに縛られていた人が、いま史上空前の規模で地元に帰ってきています。団塊の世代70歳代の方々。この人たちの能力を使わないのはもったいない。

大部分は社会的な訓練を何十年か受けてきた人ばかりです。この方たちの持っている人事や広報、財務の能力などを大いに活用しましょう。

子どもたちも地域資源とみなせます。小学生になれば認知症の発見の役に立ったり、中学生になると、地域ケア会議に出て意義のある発言ができたりします。多様な人々の力を、上手く使っていくべきと考えます。

目標は多様性を認め合う参加型社会です。我々一般住民はみんな、地域を暮らしやすくするための、生活支援コーディネーターである。これがこれからの時代なのです。

「これから、このまちの物語をつくる」。なぜか。人類史上初めて、まちの住民の3割が高齢者になるからです。「昔々ある所におじいさんとおばあさんがいました。今ではどこにでもいます」時代に変わったからに他なりません(笑)。

だったら、「新しいまちの物語」をつくりましょう。


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